2015年02月24日

【社会の変化を見る】働き方の変化その2


経済成長など社会の変化とともに働き方が大きく変化しています。

高度経済成長とともに、自営業者や家族従事者が急激に減少し、
雇用者が急増してきましたが、高度経済成長の終えんに伴い、
雇用者の中の雇用形態も大きく変化しています。

■非正規雇用者の増加(雇用者の3人に1人以上は非正規雇用者)

正規雇用者と非正規雇用者の推移を労働力調査に基づいて
グラフです(非農林業雇用者が対象)。
正規雇用者と非正規雇用者の推移.JPG

正規雇用者は1997年までは増加していたが、
それ以降、2006年まで減少し、07年以降これに対して
非正規雇用者は2009〜10年に一時期減少したが
ほぼ一貫して増加してきています。

 この結果、非正規雇用者比率は1990年の20.0%から
2014年の37.9%へと大きく上昇し、
いまや3人に1人以上は非正規雇用者となっています。

非正規雇用者はパート、アルバイト、派遣社員、契約社員、
嘱託などから区分され、非正規雇用の多く(およそ半数)は
女性パートであることが分かります。
非正規雇用者の内訳.JPG


■産業構造の高度化:第3次産業の増加
産業別の就業者数の推移および構成変化を示したグラフです。

産業別雇用者の推移.JPG

総務省の産業3部門に含まれる産業大分類は次のとおり
(第1次産業:「農業」,「林業」,「漁業」、
第2次産業:「鉱業」,「建設業」,「製造業」、
第3次産業:前記以外の産業)
第3次産業を構成する主たる産業は、
「卸売・小売業」、「サービス業(他に分類されないもの)」、 
「医療,福祉」、「不動産業」、「情報通信業」、
「教育,学習支援業」など。

第1次産業は昭和30年以降,第2次産業は
平成7年以降、それぞれ減少が続いている中で、
第3次産業は年々増加が続いており、
全就業者のうち第三次産業に就業している
人口の割合も、ともに7割程度と高くなっています。

こちらの記事から
 ↓ ↓ ↓
http://shinken.zemi.ne.jp/nigate/social/a13s0404.html

『これは、経済が発展するにつれて第一次産業の
比重が低下し、より収益率の高い第二次産業や
第三次産業の比重が高まる傾向があるからです。
このように、産業の比重が経済発展にともない、
第一次産業から第二次産業、さらには第三次産業
へと移行していくことを「産業構造の高度化」とよびます。
かつては第一次産業を基盤とする農業国だった日本も、
高度経済成長により製造業を中心とした第二次産業の
比重が増え、さらに現在は第三次産業の比重が高まっています。』


「産業構造の高度化」が進んでいくと、産業全体が
“モノ(ハード)”をつくるだけではなく、知識・情報
などの“サービス(ソフト)”の提供を重視するように
なっていきます。

これを「経済のサービス化・ソフト化」とよんでいます。
サービス業を中心とした第三次産業ではもちろんですが、
第二次産業や第一次産業においても、販売・流通にも
主体的にかかわったり情報技術(IT)を導入したりして、
“モノ(ハード)”に“サービス(ソフト)”を
つけて付加価値を高める工夫をするようになっているのです。』

第3次産業へのシフト、産業別の就業者の変化、産業の高度化
・付加価値化によって、仕事そのものの変化や、働き方の変化、
雇用形態の変化に密接に関係していると思われます。

■会社への帰属意識:「カイシャ社会」に対する変化
こちらは、
会社に対する帰属意識の変化の調査結果です。
1995年は「バブル崩壊前と比べて会社への
     帰属意識に変化はあるか」
2000年は「5年前に比べて会社への帰属意識に変化はあるか」
という質問内容。

会社に対する帰属意識の調査.JPG

雇用者の雇用形態の変化や就業する産業の変化、
そして産業構造の変化など働き方が多様化
・複雑化してきています。


男女の性別による働き方の違いはもちろん、
年齢によっても働き方が大きく変化しています。

おそらく、働き方の多様化・複雑化によって、
会社に対する帰属意識も大きく違ってきていて、
若年層の人たちが社畜と呼ぶように、「カイシャ社会」
に対する思い入れも年齢や性別によってそれぞれ
異なってきているのだと思います。





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2015年02月22日

【社会の変化を見る】働き方の変化「カイシャ社会の形成」

自分らしい生き方働き方を考えていく上で、自分たちを
取り巻く社会がどのように変化し、どのように自分たちの
生き方働き方に影響しているのかを考えることはとても重要です。

今回は、働き方の変化を見ていきます。

こちらのグラフから
就業形態別労働力人口の推移.JPG>

このグラフでわかるように、1950年代前半には、
農業を含む自営業主と家族従業者の方が、雇用者
(いわゆるサラリーマン)より人口が多いことがわかります。

この比率が高度経済成長の時代になり1950年台後半から
雇用者(いわゆるサラリーマン)が年々急増し、2006年時点
では雇用者の比率は80%以上となり、
“働くこと”は企業や組織で働くことが当たり前になっています。

この変化は高度経済成長が大きく影響しています。

こちらの記事から
 ↓ ↓
http://www2.town.nakadomari.aomori.jp/hakubutsukan/jigyou/H11/h11-s.htm

『設備投資や技術革新は、新たな需要を生みだし、不足した
労働力は地方から集団就職などによって補われました。
とくに若年労働層は、第二次産業の基盤を支える
「金の卵」ともてはやされるとともに、旧いタテ割社会から
脱した市民として、新たな都市文化の担い手となりました。』

『終身雇用・年功序列といった安定的な労使関係を基調とした
日本型の雇用慣行は、「会社人間」「企業戦士」「猛烈社員」と
形容される勤勉なサラリーマン層を生み出し、より高度経済成長
を加速化させました。』

『国民総生産(GNP)が世界第2位へと躍進するとともに、
階層間・地域間格差の縮小傾向を背景に、全国民の
9割までが中流意識をもつ』

『「集団就職」「通年出稼ぎ」等にみられるような農村から
都市への大量の人口移出をもたらし、「三チャン農業
(じいちゃん・ばあちゃん・かあちゃん)」の言葉とともに、
今日につながる農村社会における過疎化・高齢化の
原因を作り上げました。』

※大都市への人口の流出と「都会」の形成
  経済成長にのり新たな需要に対応するため、労働力が
 地方から大都市部へ流出することで、逆に大都市部の
 人口集中、地方の過疎化が促進されました。
  若年労働層が地方から都市部へ大量に移動することで、
 日本の各地域に根付いていた旧いタテ割社会から脱した
 市民として、新たな都市文化の担い手となりました。
 これがいわゆる東京に代表される「都会」が
 形成されはじめたのだと思います。


※生活と生産(仕事)の分離
 働き方において、大きな変化のひとつに、自営業から
 雇用者への変化が挙げられると思います。
 農業や商店などの自営業者にとって、家庭が生活の場で
 あるとともに生産(仕事)の場です。
 その自営業者を支えるのが奥さんや子供たち家族従業者。
 奥さんや子供たちが大切な働き手を担っています。
 それが、雇用者(企業や組織の中で雇用される人)へ
 変化していく中で、家庭は生活の場となり、
 働く場(仕事の場)は家庭から分離されます。

 子供たちにとって、親の仕事を手伝うことも仕事をする
 親の背中を見て育つこともなく、親がどんな仕事をして
 いるかリアルに想像できない時代になっていきます。

※「カイシャ社会の形成」会社中心の生き方・働き方が主流
雇用者(サラリーマン)が当たり前な働き方になっていくと
同時に、経済成長ともに、雇用者は終身雇用や年功序列、
定年退職制度などに安定的な労使関係を基調とした
日本型の雇用慣行によってカイシャから守られました。

そして、「会社人間」「企業戦士」「猛烈社員」と形容される
勤勉なサラリーマン層を生み出し、雇用者は、若年層に
時として社畜と呼ばれるような、会社中心の生き方・
働き方が主流となり「カイシャ社会」を形成して
いったのだと思います。





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2015年02月19日

【社会の変化を見る】社会保障の変化を見る

自分らしい生き方働き方を考えていく上で、自分たちを
取り巻く社会がどのように変化し、どのように自分たちの
生き方働き方に影響しているのかを考えることはとても重要です。


今回は社会保障の変化について。

まずは、社会保障とは何か?
こちらの記事から
 ↓ ↓ ↓
国民皆保険・皆年金(1)「当たり前」は日本だけ?

『社会保険とは、「老齢、障害、疾病、失業、死亡など、
 生きていく上での様々なリスクに対して、保険的な手法により、
 必要なお金やサービスを支給する仕組み」をいいます。
 つまり、あらかじめみんなで保険料を出し合い、実際に
 リスクに遭った時に、お金やサービスを給付する手法です。』

日本の社会保障制度は、

1、生活保護など国が生活困窮者に健康で
  文化的な最低限度の生活を保障する公的扶助
2、健康保険、年金保険、介護保険、労働災害保険など、
  原則として加入者の負担によって給付がまかなわれる社会保険
3、児童、障害者、高齢者などが社会生活を営むのに
  必要な能力の育成、回復、補強のために、一定の財・
  人的サービスを供給する社会福祉
4、結核予防や栄養改善などを行う公衆衛生
5、国民の老後における健康の保持と適切な医療を確保するため、
  総合的な保健医療サービスを提供する老人保健
の5つからなります。

具体的に社会保障給付費がどのように
推移したかを示しているのかが下のグラフです。

社会保障費の推移.JPG

このグラフを見て明らかなように、一人当たりの
給付額が年々増加しており、それに伴って国民
総所得額との比率もどんどん増加しています。

社会保障給付費は国民所得の伸びを上回って増加しており、
その財源を国債等でまかなっている状況です。

個人の家計で考えれば、収入に対し支出がかさみ始め、
毎月借金で何とかしのいでいる状態と言えると思います。

でも、
借金をずっと続けることは出来ない。
借金が長く続けばいずれ家計は破たんします。

そして、
日本の社会保障制度の考える上で、重要な施策に
国民皆保険、国民皆年金という制度があります。

国民皆保険とは、コトバンクより

『すべての国民をなんらかの医療保険に加入させる制度。
 医療保険の加入者が保険料を出し合い,病気やけがの
 場合に安心して医療が受けられるようにする相互扶助の
 精神に基づく。日本では 1961年に国民健康保険法
 (昭和33年法律192号)が改正され,国民皆保険体制
 が確立された。』

1955年頃までの日本では、農業や自営業者、零細企業
従業員を中心に国民の約3分の1に当たる約3000万人が
無保険者だったそうです。

その社会問題を解決するため、1961年に国民皆保険制度
を導入し、「誰でも」「どこでも」「いつでも」
保険医療を受けられる体制が確立しました。

国民皆年金とは、これもコトバンクより
『日本では自営業者や無業者も含め、原則として20歳以上
 60歳未満のすべての国民は公的年金に加入する。これを
 国民皆年金という。1961年に自営業者らを対象とする
 国民年金が発足し、厚生年金などと分立しているが、
 国民皆年金が実現した。』

国民皆年金とは、全ての国民が公的な年金保険制度への加入を
義務付けられ、その結果として、誰もが基礎年金を受給でき、
老後の生活に必要な基礎的な収入が保障されることだといえます。

年金に関しては、若年層が本当に老後の保障がなされるのか
疑問を持つ人も多く、この制度そのものが揺らぎはじめています。

この年金だけでなく、
社会保障全般が経済成長の停滞、少子高齢化などにより財源が
不足しており、国民皆保険、国民皆年金の制度そのものの存続が
とても厳しい状況であることは認識した方が良いと思います。





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2015年02月17日

【社会の変化を見る】経済成長率の長期的推移 ―段階的に低下してきた成長率―

自分らしい生き方働き方を考えていく上で、自分たちを
取り巻く社会がどのように変化し、どのように自分たちの
生き方働き方に影響しているのかを考えることはとても重要です。


今回は、経済成長の変化を見ていきます。

こちらの記事から
経済成長率の長期的推移 ―段階的に低下してきた成長率―

このグラフを見てわかるように、長期的に段階的に
日本経済は低下してきています。

chgdp.png

この記事では、経済成長率の変化から、
高度成長期⇒安定成長期⇒バブル崩壊経済崩壊(経済停滞期)
の大きな3つのステージを説明しています。

■高度成長期
戦後の経済社会の再構築・復興の後、神武景気
(1955年=昭和30年)を先駆けとする高度経済成長の
時代へと入っていきます。
1956年度から1973年度までの年々の経済成長率の平均は、9.1%

この高度経済成長期につくられた社会的なルールや仕組は、
現代の生き方や働き方に大きな影響を与えています。
 ↓ ↓ ↓
http://www2.town.nakadomari.aomori.jp/hakubutsukan/jigyou/H11/h11-s.htm

『重化学工業をはじめとする民間の設備投資に
 支えられました。設備投資や技術革新は、新たな需要を
 生みだし、不足した労働力は地方から集団就職などに
 よって補われました。とくに若年労働層は、第二次産業の
 基盤を支える「金の卵」ともてはやされるとともに、
 旧いタテ割社会から脱した市民として、新たな
 都市文化の担い手となりました。』

『終身雇用・年功序列といった安定的な労使関係を
 基調とした日本型の雇用慣行は、「会社人間」
「企業戦士」「猛烈社員」と形容される勤勉な
 サラリーマン層を生み出し、より高度経済成長を
 加速化させました。』

『国民総生産(GNP)が世界第2位へと躍進する
 とともに、階層間・地域間格差の縮小傾向を背景に、
 全国民の9割までが中流意識をもつ』

『「集団就職」「通年出稼ぎ」等にみられるような
 農村から都市への大量の人口移出をもたらし、
 「三チャン農業(じいちゃん・ばあちゃん
・かあちゃん)」の言葉とともに、今日につながる 
 農村社会における過疎化・高齢化の原因を作り上げました。』


■安定成長期
 1973年のオイルショック以降には、環境対策とともに、
 省エネルギー対策が全国民一丸となって進められた。
この結果、強い国際競争力を形成し、対米輸出を増加させた。
これが貿易摩擦をもたらし、プラザ合意を契機に急激な円高
へと向かった。結果として輸出の不振となり、円高不況が起こり、
技術革新と経営合理化によって克服されたものの、超低金利・
余剰資金が株・土地へと流入し、バブル経済をもたらした。
1974年度から1990年度までの年々の経済成長率の
平均は、3.8%となっている。

■バブル経済崩壊以降
バブル経済の崩壊は、1990年の株価の低下から始まり、
不動産価格の下落から、さらに企業収益の悪化へと
つながっていった。企業の倒産、経営不振は、
まず不動産投資の主役であった建設業に始まり、
次いで専ら土地を見て融資を行った金融機関に移り、
さらに多様な業種へと広がっていった。
 現在、政府はこのような企業を直接的間接的に
支援するとともに、景気浮揚として公共投資を継続し、
極めて膨大な赤字に陥っている。
1990年度から2007年度までの年々の経済成長率の
平均は、1.3%となっている。

景気が好い悪いという話も良くすると思いますが、
長期的な視点で言えば、右肩上がりは遠い昔の話。

長期的には段階的に右肩下がりになっています。

特に、失われた20年と言われたバブル崩壊以後
(経済停滞期)の1990年度から2007年度までの
年々の経済成長率の平均は、1.3%(1990年度から
2011年度までは平均0.8%)という状況です。
(アベノミクスの経済成長率目標は3%)

なんとなく景気が良くなるのを待っていても、
漠然と大きな変化を期待していても、
残念ながら思っているような時代ではない
と考えた方がよさそうです。



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